この記事の位置付け
本ページは、残業代請求への対応と賃金制度の設計に関する解説のうちの一つです。全体像は、次の中核となるページをご覧ください。
▶ 残業代請求への対応|元従業員から請求された場合の反論の組み立て方(使用者側)
同じ主題を扱う関連ページ
「残業代の計算が実態と合っていない」「固定残業代の制度に移行したいが、過去の未払分をどう扱えばよいか分からない」「管理職には残業代を支払っていないが、このままでよいのか」という御相談を、中小企業の経営者の方から多くいただきます。結論から申し上げますと、勤怠管理の適正化と賃金制度の見直しは、過去の未払残業代を法律に従って清算することと一体で進める必要があります。未払分を意図的に支払わないまま時効の完成を待つことや、実際の未払額を大きく下回る金額で形式的な放棄書を取り付けることは、労働基準法第24条(賃金の全額払)及び第37条(割増賃金)に違反し、後に付加金や遅延利息を含めた多額の支払を命じられる原因となります。
本記事では、使用者側の立場から、労働時間を適正に把握する義務の内容、未払残業代の清算の進め方、固定残業代制度が有効となるための要件、管理監督者の範囲、就業規則の変更を適法に行う手続、及び残業時間を抑制するための実務上の工夫を、順を追って解説します。
労働時間を適正に把握する使用者の義務
勤怠管理の適正化の出発点は、労働時間を客観的に把握することです。これは単なる経営上の工夫ではなく、法律上の義務です。
労働時間の状況の把握義務(労働安全衛生法第66条の8の3)
使用者は、労働者の健康管理のため、厚生労働省令で定める方法により労働者の労働時間の状況を把握しなければなりません(労働安全衛生法第66条の8の3)。その方法は、タイムカードによる記録、パソコンの使用時間の記録その他の客観的な方法によることが原則とされ、やむを得ず自己申告制によらざるを得ない場合には、労働者への十分な説明、実態調査及び申告を妨げる措置の禁止等の措置を講ずる必要があります。この義務は、管理監督者を含むすべての労働者が対象です。
労働時間の適正な把握のためのガイドライン
厚生労働省の「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」は、使用者が始業及び終業の時刻を確認し記録すること、その方法は原則として使用者の現認又はタイムカード、ICカード、パソコンの使用時間の記録等の客観的な記録によること、自己申告制による場合には実際の労働時間と合致しているかを必要に応じて実態調査すること、及び記録を保存することを求めています。労働時間に関する記録は、労働基準法第109条により5年間(当分の間3年間)の保存義務があります。
紙の出勤簿とタイムカードのいずれによるべきか
紙の出勤簿に本人が記入する方式は自己申告制に当たり、実態との乖離が生じやすく、後に残業代の請求を受けた場合に会社側が実際の労働時間を立証することが困難になります。タイムカード、ICカードによる入退室記録、又はパソコンの起動及び終了の記録といった客観的な方法によることを強くお勧めします。客観的な記録がない場合、紛争においては労働者側が作成した手帳のメモや電子メールの送信時刻等に基づいて労働時間が推認されることがあり、会社にとって不利に働きます。
未払残業代を清算する正しい進め方
勤怠管理を適正化し、賃金制度を見直す過程では、過去の未払残業代の存在が明らかになることが少なくありません。この清算を誤ると、制度の見直し自体が無意味になるばかりか、より大きな紛争を招きます。
賃金請求権の消滅時効
賃金請求権の消滅時効期間は、労働基準法第115条により5年とされていますが、経過措置として当分の間は3年とされています(同法附則第143条第3項)。したがって、現時点では、支払期日から3年を経過していない残業代について請求を受ける可能性があります。時効は、労働者からの催告や請求により完成が猶予され又は更新されますので、会社が未払を認識しながら時効の完成を待つという方針は、法的にも実務的にも成り立ちません。加えて、使用者が未払を認識していたことは、後述する付加金の判断において会社に不利な事情となります。
賃金の全額払の原則と賃金債権の放棄
賃金は、法令又は労使協定による控除の場合を除き、その全額を支払わなければなりません(労働基準法第24条第1項)。労働者が賃金債権を放棄する旨の書面に署名した場合であっても、その放棄が労働者の自由な意思に基づくものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在しなければ、放棄の効力は認められません。実際の未払額の説明をせずに少額を交付し、「これが残業代の全額である」と記載した書面に署名させるような方法は、自由な意思に基づく放棄とは認められず、後に残額の請求を受けたときに書面が効力を持たないばかりか、会社の不誠実な対応として付加金や慰謝料の判断に影響します。
付加金と遅延利息
使用者が割増賃金を支払わなかった場合、裁判所は、労働者の請求により、未払金と同一額の付加金の支払を命ずることができます(労働基準法第114条)。また、退職した労働者の未払賃金には、退職日の翌日から年14.6パーセントの遅延利息が付されます(賃金の支払の確保等に関する法律第6条)。未払残業代を放置した場合の会社の負担は、元本の2倍に遅延利息を加えた額にまで膨らみ得るということです。
清算の実務
未払残業代の清算は、次の手順で進めます。第一に、客観的な記録に基づいて、対象となる期間の各労働者の実労働時間と支払済みの賃金を突き合わせ、未払額を算定します。第二に、算定の根拠と金額を労働者に説明し、支払います。第三に、金額に争いがある場合には、双方が根拠を示して協議し、合意した金額と、それが対象期間の割増賃金の清算であることを明記した合意書を作成します。合意書には、労働者が算定の根拠の説明を受け、内容を理解したうえで合意した旨を記載します。実際の未払額との間に合理的な説明のつかない開きがある合意は、後に効力を否定されるおそれがあります。清算にあわせて、今後の勤怠管理及び賃金制度の見直しの内容を説明することで、労働者の理解を得やすくなります。
固定残業代制度を適法に導入するための要件
固定残業代(定額残業代、みなし残業代とも呼ばれます。)は、一定時間分の時間外労働に対する割増賃金をあらかじめ定額で支払う制度であり、適切に設計すれば、賃金計算の簡素化と労働者の収入の安定に資するものです。しかし、要件を欠く固定残業代は、割増賃金の支払として認められず、その部分も基礎賃金に算入して割増賃金を再計算されるという二重の負担を生じさせます。
有効となるための要件
固定残業代が割増賃金の支払として認められるためには、第一に、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とが明確に区分されていること(明確区分性)、第二に、割増賃金に当たる部分が何時間分の時間外労働に対するものかが労働者に明示されていること、第三に、実際の時間外労働がその時間数を超えた場合には、超過分の割増賃金を別途支払うこと(差額支払)が必要です。基本給の中に残業代が含まれているという説明のみで内訳が示されていない場合や、超過分を支払っていない場合には、制度全体が無効と判断されます。
設定する時間数
固定残業代に対応する時間数は、実態に即した合理的な範囲で設定します。時間外労働の上限規制(労働基準法第36条第4項、原則として月45時間、年360時間)を大きく超える時間数を設定した固定残業代は、公序良俗に反するものとして無効と判断されるおそれがあります。また、固定残業代を導入することで実際の残業時間の管理を怠ってよいことにはならず、超過分の把握と支払のために、労働時間の客観的な記録は引き続き必要です。
導入の手続
既存の基本給の一部を固定残業代に振り替える形で導入する場合、基本給が減額されることになりますので、労働条件の不利益変更に当たります。労働契約法第8条により、労働者との個別の合意によることが原則であり、就業規則の変更による場合には、後述の労働契約法第10条の要件を満たす必要があります。合意を得る際には、変更の内容、変更前後の賃金の比較、超過分の支払の取扱いを書面で説明し、労働者の自由な意思に基づく同意を書面で得ることが必要です。導入の前提として、過去の未払残業代の清算が済んでいることが望まれます。固定残業代の設計と、請求を受けた場合の反論については、関連記事「固定残業代が無効と主張された場合の会社の反論」も御覧ください。
管理監督者の範囲と管理職制度の設計
役職者に残業代を支払わない取扱いは、その役職者が労働基準法第41条第2号の「監督若しくは管理の地位にある者」(管理監督者)に該当する場合に限って許されます。管理監督者に該当すれば、労働時間、休憩及び休日に関する規定が適用されず、時間外労働及び休日労働の割増賃金は不要となりますが、深夜労働の割増賃金(同法第37条第4項)及び年次有給休暇の規定は適用されます。
管理監督者の判断要素
管理監督者に該当するか否かは、役職の名称ではなく実態によって判断されます。考慮される要素は、第一に、経営方針の決定に参画し、又は労務管理上の指揮監督権限(採用、人事評価、配置等)を有していること、第二に、出退勤の時刻について厳格な管理を受けず、自らの裁量で労働時間を決定できること、第三に、その地位にふさわしい賃金(基本給、役職手当等)の待遇を受けていることです。店長や課長の名称を付していても、実態が一般の従業員と変わらず、出退勤の管理を受け、待遇も十分でない場合には、管理監督者性が否定され、過去に遡って割増賃金の支払義務が生じます。
等級制度と管理職制度の設計
管理職制度を導入する場合には、職務と責任の内容に応じた等級を定め、各等級に求められる役割、権限及び処遇を明確にします。管理監督者として扱う等級については、前記の判断要素を満たすように、権限、労働時間の裁量及び待遇を設計する必要があります。管理職手当を支給する場合には、その額が、管理監督者として扱わなかった場合に支払うべき割増賃金の額と比較して不相当に低くないかを検証してください。管理監督者として扱う者についても、労働安全衛生法上の労働時間の状況の把握義務は及びますので、勤怠の記録は必要です。管理職への登用に伴い賃金体系が変わる場合には、本人に変更後の処遇を書面で説明し、同意を得ます。
就業規則を適法に変更する手続
勤怠管理の方法、固定残業代制度及び管理職制度を導入し又は変更する場合には、就業規則(賃金規程を含みます。)の変更が必要となります。変更の手続を誤ると、変更後の就業規則の効力が否定され、制度全体が無効となるおそれがあります。
労働者代表からの意見聴取(労働基準法第90条)
使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に労働者の過半数で組織する労働組合がある場合にはその労働組合、ない場合には労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければなりません(労働基準法第90条第1項)。過半数代表者は、管理監督者でないこと、及び投票、挙手等の民主的な方法により選出されたことが必要であり、使用者が指名した者は過半数代表者に当たりません。意見聴取は、変更の内容を正確に説明したうえで行う必要があり、内容を十分に伝えないまま形式的に意見書を取り付けることは、手続の適正さを欠くものとして変更の効力に疑義を生じさせます。なお、法律上求められているのは意見を聴くことであり、同意を得ることではありませんが、反対意見が付された場合には、その理由を検討し、必要に応じて内容を見直すことが、後の紛争を避けるうえで有益です。
届出と周知(労働基準法第89条、第106条)
常時10人以上の労働者を使用する事業場では、変更後の就業規則を、意見書を添付して所轄の労働基準監督署長に届け出なければなりません(労働基準法第89条、第90条第2項)。また、就業規則は、常時各作業場の見やすい場所への掲示又は備付け、書面の交付、又は電子的方法により労働者が常時確認できる状態に置くことによって、労働者に周知しなければなりません(同法第106条第1項)。周知されていない就業規則は、労働者に対して効力を持ちません。届出の際には控えを持参して受付印を受け、会社で保管します。
不利益変更の要件(労働契約法第9条、第10条)
使用者は、労働者と合意することなく、就業規則の変更により労働者の不利益に労働条件を変更することは原則としてできません(労働契約法第9条)。例外として、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、その変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の事情に照らして合理的なものであるときは、変更後の就業規則の定めによることができます(同法第10条)。賃金に関する不利益変更については、高度の必要性に基づいた合理的な内容であることが求められますので、基本給の一部を固定残業代に振り替える変更や、管理職の処遇を見直す変更を行う場合には、経過措置や代償措置を設けることを検討し、個別の同意を得る努力を尽くすことが重要です。
変更の実務上の流れ
実務上は、次の流れで進めます。第一に、現行の就業規則及び賃金の実態を確認し、変更の目的と内容を整理します。第二に、弁護士が変更案を複数作成し、経営者と協議して内容を確定します。第三に、変更の内容と理由を記載した説明資料を作成し、全労働者に対する説明会を開催します。第四に、過半数代表者を民主的な方法で選出し、意見聴取を行い、意見書を受領します。第五に、不利益変更に当たる部分については、各労働者から書面による同意を得ます。第六に、労働基準監督署長へ届け出ます。第七に、変更後の就業規則を周知し、施行日を明確にします。
残業時間を抑制するための実務上の工夫
制度の見直しと並行して、実際の残業時間を減らす取組みを行うことが、未払残業代の発生を根本から防ぎます。以下は、当事務所の関与先で効果のあった取組みの例です。
業務分掌の明確化
部署ごと及び担当者ごとの業務の範囲と権限を文書化し、業務の重複や属人化を解消します。上司が部下の業務量と進捗を把握できる状態を作ることが、残業の事前承認制を機能させる前提となります。
残業の事前承認制
時間外労働は、上司の事前の承認を得て行うものとし、承認のない時間外労働を原則として禁止する運用を就業規則に定めます。ただし、承認を得ていない時間外労働であっても、使用者がそれを知りながら黙認していた場合には労働時間と評価されますので、承認のない残業を現認した場合には、直ちに中止を指示し、業務量の調整を行うことが必要です。
終業時刻後の設備の制限
自社ビルの場合に終業時刻後の一定時刻に照明や空調を停止する、終業時刻後は業務用のネットワーク接続を制限するといった措置は、残業を抑制する効果があります。ただし、これらの措置を講じたうえで持ち帰り残業が発生していれば、それも労働時間となりますので、業務量の調整と併せて行う必要があります。
多能工化と業務の平準化
特定の担当者に業務が集中することが恒常的な残業の原因である場合には、複数の従業員が同じ業務を担当できるようにする多能工化を進め、業務の平準化を図ります。
残業時間の見える化
各従業員の月間の時間外労働の時間数を本人と上司が随時確認できるようにし、36協定で定めた限度時間に近づいた場合には警告が出る仕組みを設けます。時間外労働の上限規制(労働基準法第36条)に違反した場合には罰則の対象となりますので、限度時間の管理は法令遵守の観点からも不可欠です。
弁護士に相談する時期と、費用の考え方
勤怠管理と賃金制度の見直しは、未払残業代の清算、固定残業代の設計、管理監督者の範囲の検証、就業規則の変更手続、及び労働者への説明と同意の取得という複数の法律問題を同時に扱う作業です。いずれか一つでも要件を欠くと、制度全体の効力が争われることになります。当事務所では、使用者側の立場から、現状の診断、未払額の算定方法の助言、制度設計、就業規則及び賃金規程の改定案の作成、説明会への同席、並びに導入後に残業代の請求や労働審判を受けた場合の対応を取り扱っています。費用は、対象となる従業員数、変更の範囲及び関与の程度に応じて事前に御説明します。
よくあるご質問
未払残業代があることが分かりました。従業員から請求されるまで待ってもよいですか。
お勧めしません。賃金請求権の消滅時効は当分の間3年であり、その間に請求を受ける可能性があるだけでなく、使用者が未払を認識しながら放置していたことは、付加金(未払額と同額)の支払を命じられる方向に働く事情となります。自ら算定して支払い、今後の制度を整えることが、結果として負担を最も小さくします。
従業員に一定額を支払い、「残業代は全額受領した」旨の書面に署名をもらえば解決しますか。
実際の未払額の説明をせず、それを大きく下回る額で取り付けた書面は、労働者の自由な意思に基づく放棄とは認められず、効力を否定されるおそれが高いです。算定の根拠を示して説明し、合理的な金額で合意し、その経過を合意書に記載することが必要です。
固定残業代を導入すれば、残業時間の管理は不要になりますか。
なりません。固定残業代に対応する時間数を超えた時間外労働については別途割増賃金を支払う必要があり、その把握のために労働時間の客観的な記録は引き続き必要です。また、労働安全衛生法上の労働時間の状況の把握義務は、賃金制度にかかわらず及びます。
課長以上の役職者には残業代を支払っていません。問題はありますか。
役職の名称ではなく、経営への参画や労務管理上の権限、労働時間の裁量、及び待遇の実態によって管理監督者に該当するか否かが判断されます。実態を伴わない場合には、過去に遡って割増賃金の支払義務が生じます。管理職制度を設計する際に、これらの要素を満たすように権限と処遇を整えることが必要です。
就業規則の変更に、従業員全員の同意が必要ですか。
法律上求められているのは、過半数労働組合又は過半数代表者からの意見聴取、労働基準監督署長への届出及び周知です。ただし、賃金の減額等の不利益変更については、変更に合理性がなければ同意しない労働者に対して効力を及ぼすことができませんので、個別の同意を得る努力を尽くし、経過措置や代償措置を設けることが望まれます。
過半数代表者は、会社が適当な従業員を指名してもよいですか。
できません。過半数代表者は、管理監督者でない者の中から、投票、挙手等の民主的な方法により選出される必要があります。使用者が指名した者からの意見聴取は無効であり、就業規則の変更手続全体の効力に影響します。
まとめ
勤怠管理の適正化と賃金制度の見直しは、労働時間を客観的に把握する義務(労働安全衛生法第66条の8の3)を果たすことから始まり、過去の未払残業代を労働基準法第24条及び第37条に従って清算し、そのうえで、明確区分性と差額支払の要件を満たす固定残業代制度、実態を伴う管理監督者の範囲、及び労働契約法第10条の合理性を備えた就業規則の変更を、労働基準法第89条、第90条及び第106条の手続に従って行うという順序で進めます。時効の完成を待つことや形式的な放棄書の取得は、法律上の効力を持たないばかりか、付加金と遅延利息を含めた負担を拡大させ、会社の信用を損ないます。制度の見直しを検討される場合には、着手の段階で使用者側の労働問題を取り扱う弁護士に御相談ください。
具体的なご相談をお考えの皆様へ
本ページの主題に関し、当事務所の取扱内容、対応の進め方及び費用の考え方は、次のご案内のページに整理しています。あわせてご覧ください。


















